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フランチャイズシステムの採用

共存共栄を模索して

1970年度末(1971年2月)現在22店舗を展開していたイトーヨーカドーは、その後首都圏を中心に出店スピードを上げていく中で、地元商店街との交渉の機会が増え、中小小売店の実情や主張に直面することになりました。

イトーヨーカドーは、「地元商店街との共存共栄を図る」旨を繰り返し訴え続けていましたが、当時澎湃(ほうはい)と興っていた「大きな資本を背景にした大型店に中小小売店は圧迫される」という声にかき消されがちでした。当時、商店街との交渉に当たっていた現在のセブン&アイ・ホールディングス代表、鈴木敏文(当時イトーヨーカドー取締役)は、この時代を振り返ってこう語っています。「当時、中小小売店の不振の原因は、生産性の問題であり、大型店との競争の結果ではないと考えて、規模の大小にかかわらず生産性を上げて人手を確保し、きめ細かくニーズに対応していけば必ず成長の道が拓かれ、大型店と中小小売店の共存共栄は可能だと説得し続けていました。

しかし、いくら言葉で言っても生産性の上がる中小小売店経営の実例がどこにもないので、商店街の方々の納得を得るのは困難でした。」セブン-イレブン・ジャパンがフランチャイズ・ビジネスを追求していく端緒がここにありました。

フランチャイズ方式による経営近代化の支援を決意

写真: 1974年 東京都江東区にオープンした第1号店「セブン-イレブン豊洲店」

小規模小売店の生産性を高め、活性化する方法を模索する中で出会ったのが、当時(1970年代初頭)北米で4,000店舗の小規模店舗を展開し、なお成長を続けていたサウスランド社のセブン-イレブンでした。
その仕組みを学ぶためにサウスランド社と提携し、設立されたのが株式会社ヨークセブンです。実は、この新規事業に着手するに当たっては、国内はもとよりイトーヨーカドー内にも根強い反対論があり、また、当初サウスランド社側は提携交渉の席につくことすら拒絶するという状態でした。

国内の反対論は「コンビニエンスストア業態」は時期尚早というものでした。これはアメリカの流通業の沿革をモデルにしたもので、「コンビニエンスストア業態は、大規模なショッピングセンターが成熟を遂げた後に初めて成長機会が訪れるはずであり、チェーンストアが成長の途上にある当時の状況での導入は時期尚早」というのが学者、実務家を問わず流通業の専門家のいわば「常識」でした。

こうした環境で、敢えてセブン-イレブンの導入に踏み切ったのは、その目指すところが、「中小小売店経営の近代化・活性化と大型店との共存共栄の実現」にあり、具体的には店舗運営をチェーン化、システム化することで生産性を高め、お客様のニーズの変化への柔軟な対応を実現することにあったからです。

そのために、セブン-イレブン・ジャパンがもっとも力を注いだのが、国内の実情を踏まえた本格的なフランチャイズ方式の確立です。そして、1974年5月、セブン-イレブンの第1号店が東京都江東区豊洲にオープンしました。